Catholica ecclesia / 小教区をおとずれた話 / 清水教会の歴史 / 清水教会の写真 /
【清水教会聖堂】
1ページ ドラエ神父の木造聖堂
2ページ 聖堂譲渡
3ページ 保存解体作業
4ページ 新聖堂建築
5ページ 旧聖堂移設
6ページ 新しい旧聖堂
7ページ さくらももこさんと教会
8ページ 写真
9ページ 年表
10ページ 出典参考リンク
11ページ 司教破門発言

カトリック横浜司教区清水小教区
教会堂名:ブローニュの聖母
小教区設立年:1932年12月29日
旧聖堂献堂:1935年12月9日
所在地:静岡県静岡市清水区岡町(おかまち)1-34
https://maps.app.goo.gl/ALrAWztpYKhELhhQ6
障害者用トイレ・スロープあり
資料:
カトリック横浜司教区神奈川、静岡、長野、山梨の教会静岡静清地区
http://www.yokohama.catholic.jp/syokyoku_top/yb_parish_s02.html

1909 ドラエ神父来日 (明治42年)
1909年12月30日、ルシアン・アドルフ・ドラエ神父(1884年9月18日フランス、ブローニュ生まれ1957年12月8日帰天)が来日、前橋で働いた後、1914年に静岡で働き始めました。
設計者には初代司祭であったフランス人、ルシアン・ドラエ(1884-1957)の名が記録されている。1933(昭和8)年に現在の土地を購入し、当該建築を設計、建設した。パリ外国宣教会のアーカイブによると、ドラエは1909(明治42)年に来日し、前橋での仕事の後、1914(大正3)年、静岡に着任し、以後、静岡県内で谷津(静岡市葵区)、清水、藤枝の教会を設計、建築した。戦時中も静岡、清水にとどまり、母国に戻ったのは1948(昭和23)であったという。1950(昭和25)年には再び来日し、伊東の教会を建てた後、1955(昭和30)年には静岡に戻ったという。施工者は不詳である。
清水教会要望書
https://www.aij.or.jp/jpn/databox/2020/201102tokai.pdf 4頁目
ドラエ神父についての記述
家康の御殿地に教会を建てたフランス人(前編)
Hiroe Shiba【ドイツでピアノ講師歴40年・ピアニスト】


1914 鐘楼の鐘が完成
木造聖堂には鐘楼が2棟ありますが、そのうち祭壇に向かって右側に1つ鐘が取り付けられています。この鐘には「1914」の文字があり、この年に作られた事が分かります。聖堂より鐘のほうが古いということは別の場所で稼働もしくは保管してあったものを頂いたのかもしれません。そのあたりの記録が出てくることを願います。
このイエズスとヨゼフの鐘が再び鳴る日が来るのを祈ります。

表面
GLORIA IN EXCELSIS DEO
ANNO DOMINI 1914
ST CŒUR JESUS
EUGENE BAUDOUIN FONDEUR A MARSEILLE

裏面
S.JOSEPH
1909 藤枝教会聖堂献堂(明治42年)
ドラエ神父が建てた聖堂のひとつ。1970年に岡部教会の敷地に移築。
カトリック岡部教会巡礼記 : 教会巡礼記
https://ibumi0829.livedoor.blog/archives/20004531.html
大学倶楽部・桜美林大:小川国夫が洗礼前に「教会史」 未発表原稿を勝呂教授が発見 信仰固める過程か | 毎日新聞
https://mainichi.jp/univ/articles/20160621/org/00m/100/016000c





1917 谷津巡回教会聖堂献堂(大正6年)
ドラエ神父が建てた聖堂のひとつ。この建物は1997年6月12日に国の登録有形文化財に登録されましたが、2012年5月24日に放火による火災で焼失しました。そのため登録有形文化財は2012年12月13日に登録抹消となりました。
日本カトリック谷津巡回教会 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E8%B0%B7%E6%B4%A5%E5%B7%A1%E5%9B%9E%E6%95%99%E4%BC%9A
谷津巡回教会 – Google 検索
https://www.google.com/search?q=%E8%B0%B7%E6%B4%A5%E5%B7%A1%E5%9B%9E%E6%95%99%E4%BC%9A&udm=2
1935.12.09 清水教会聖堂献堂(昭和10年)
1933年7月、清水教会のために「御浜御殿」跡地の土地を購入するとともに、静岡県清水市(現・静岡市清水区)入江に教会共同体が発足しました。
1935年12月9日、木造聖堂をドラエ神父の奔走の成果により献堂しました。なお、少し前の1935年7月11日に静岡地震が発生しています。
建物はゴシック様式のバシリカ型3回廊式、外壁はモルタル擬石塗りとなっています。1階には告解室と2階聖歌隊席への階段があり、聖歌隊席からはしごを使って鐘楼内部に入ることができます。広さは延べ205㎡あります。
ドラエ神父に寄すーカトリック清水教会ー – YouTube
Hiroe Shiba-ピアニストの柴猫-
https://www.youtube.com/watch?v=f9gJ86jfsr0
1931(昭和6)年、フランスへ帰国し、清水教会建設のための資金調達に奔走します。そして、1935(昭和10)年、徳川家康の御浜御殿跡に、カトリック清水教会聖堂が完成しました。
(一社)カトリック清水教会聖堂を活かす会ホーム – arigatou-seidou ページ!
https://www.cath-shimizu.com/
被害は有度山の北側と西側の地域に集中し、静岡市と清水市を中心に死者9名、全壊家屋360戸余りの被害を出した。震央よりもやや離れた場所で被害が大きくなる傾向にあり、日本平の南西側の高松地区、大谷地区と北西側の国吉田地区や栗原地区などで家屋倒壊率10%程度以上の多くの被害を出し、その中間の堀ノ内地区などではあまり被害は出なかった。また、日本平の北東側の有東坂地区や渋川地区でも被害があり、その更に東の清水港でも岩壁の大破があった[6]。
静岡地震 (1935年) – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E5%9C%B0%E9%9C%87_(1935%E5%B9%B4)

#若い頃の写真
— 清水の木造ゴシック聖堂を活かす会(公式) (@cath_shimizu) February 7, 2024
(昭和13年に撮影されたものです☺️) pic.twitter.com/722iNkIdgp
徳川家康・御浜御殿
清水教会聖堂は徳川家康の休養所「御浜御殿」跡地である土地を購入して建てました。キリシタン(カトリック信徒)を迫害した家康の地に教会を建てる不思議を感じます。
史跡巡り 静岡市
この御殿は徳川頼宣が、父家康公のために建てた別荘であり、烈祖殿〔御浜御殿とも〕呼ばれ親子で滞在したこともあった。
【静岡 古城をゆく】清水御殿(静岡市清水区下清水) – 産経ニュース

駿府から外交・軍事政策を強力に推し進めるために、家康が清水湊を西国と江戸を結ぶ軍港として整備した事実はあまり知られていない。駿府奉行に在任した加藤正行の『なをりその記』には現在の清水区下清水周辺に大規模な堀で周囲を囲んだ「清水御殿(御浜御殿)」と「御関船(軍船)蔵」を築き、同15年に三保半島に「貝島御殿」を造営したとする記述が残る。
2015/12/20
Laudate | 日本のカトリック教会の歴史
政権を握った徳川家康は、初期のころキリスト教の布教活動を許可・黙認しました。それは、ポルトガルやスペインとの貿易を推進するためでした。以前から活動していたイエズス会をはじめ、フランシスコ会、ドミニコ会、アウグスティノ会の宣教師が来日するようになりました。
家康は、外交上の必要からこれらの活動を黙認していましたが、秀吉の禁教令を取り消すことはせず、キリスト教を受け入れる意向は全く持っていませんでした。
駿府キリシタンの光と影 – 岡本大八事件とキリシタン弾圧 静岡市
徳川家康の「キリシタン禁教令」は、慶長18年(1613)に発布された。正式名は、「伴天連追放之令」という。初めは、駿府より幕府直轄領に布告され禁止されたものであった。
Laudate | 日本キリシタン物語
1614年、ついに家康はすべての宣教師を追放し、キリシタン宗門を禁じた。 林道春(林羅山)と南禅寺の金地院の崇伝の影響のもとに作られた禁教令は、秀吉の禁教令とだいぶ違っていた。家康は幕府を支える思想を準備していた。唯一の神を最高の主として称えるキリシタンの教えに対して、家康の考えでは、最高のものは将軍であり、その命令に対してだれも背くことができない。
1945 空襲(昭和20年)
太平洋戦争 1941年から1945年
静岡空襲 1945年6月20日 / 清水空襲 1945年7月7日
静岡・清水は1944年の暮から敗戦までの間に米軍による空襲と艦砲射撃を26回受けています。1945年4月4日の三菱重工業静岡発動機製作所(軍需工場)をターゲットとした空襲は目標をはずれ、住民に多くの犠牲者を出しました。静岡・清水両地区で194人の命が奪われたのです。
出典:静岡平和資料センター



私たち3人は、よちよち歩きの母を引っ張るようにして更に150メートル、カトリック教会の坂にさしかかると、次のB29が焼夷弾の雨を投下、道路の右手と、私たちのすぐ後方は火の海となった。
出典:静岡・清水空襲の記録4ページ 静岡平和資料館をつくる会

静岡平和資料センター
オンラインミュージアム 戦争と静岡
1957 ドラエ神父帰天(昭和32年)
1884.09.18 誕生
1909.12.30 来日
1957.12.08 帰天




