2010年9月16日、僕はテレビ東京が放送した「空から日本を見てみよう」という番組を見ていた。空から土地を眺めた映像を中心とし、所々地上に降りて街の様子を紹介するという番組だ。この回は宮城県を南から北の気仙沼までを紹介していた。ここで海に沿って流れる貞山堀が紹介された。堀がずっと海に沿っている様、周囲に広がる松林などに惹かれ訪れてみたいと思った。しかしすぐに旅の手配をすることは無かった。僕はもともとそれ程積極的にどこかの町を目指して旅に出るタイプではないのだ。フリー切符でも買って思い付きで駅を降りるような、そんな旅の仕方が好きだった。
空から日本を見てみよう | テレビ東京
2011年2月16日発売
⑮多摩川源流と天空の村々/宮城県 仙台~松島~鳴子峡
【宮城県 仙台~松島~鳴子峡】(2010年9月16日放送)
「くもじいじゃ!」
「あれは川ではなく貞山堀という運河じゃ。これを作らせたのはご存知伊達政宗なんじゃぞ。」
出典元:
https://www.tv-tokyo.co.jp/sorakara/goods/

https://www.tv-tokyo.co.jp/sorakara/goods/
2010年9月16日、僕はテレビ東京が放送した「空から日本を見てみよう」という番組を見ていた。空から土地を眺めた映像を中心とし、所々地上に降りて街の様子を紹介するという番組だ。この回は宮城県を南から北の気仙沼までを紹介していた。ここで海に沿って流れる貞山堀が紹介された。堀がずっと海に沿っている様、周囲に広がる松林などに惹かれ訪れてみたいと思った。しかしすぐに旅の手配をすることは無かった。僕はもともとそれ程積極的にどこかの町を目指して旅に出るタイプではないのだ。フリー切符でも買って思い付きで駅を降りるような、そんな旅の仕方が好きだった。
ある日、本だったかWeb記事だったか、おそらく森山大道の文章だったと思うが、そこから「冬の日本海」という単語が目に飛び込んできた。ああ冬の日本海を見てみたいな、と思った。昔、子供の頃父に連れられて冬の新潟に行った事があり、そこで見た雪の積もった海岸を薄っすらと思い出した。その時、仙台の貞山堀に全然行ってないことを思い出した。冬の日本海を見たいと思ったら今すぐにでも旅の手配をしないと僕のことだから結局行かずに終わってしまうだろう。それにのんびりしていると「春の日本海」になってしまう。見たいのは「冬の日本海」なのだ。そう思いすぐに旅の手配をした。新潟へのバスの手配とホテルの手配をネットで行い、旅が終わり東京に帰ってきたらその2~3ヶ月後には貞山堀を見に仙台に行こうと決めた。海近くの町が持つ雰囲気、貞山堀沿いの松林を思いながら春の仙台旅行を楽しみにすることにした。
その翌日、東日本大震災が発災した。僕が見たかった仙台が消えてしまった。
この出来事で行きたいと思った時に行かないと全てが消えて無くなってしまうことがあると知る。そして僕はこの津波による被害を実際に見なければならないと思った。思えば阪神淡路大震災が発災した時、一度は神戸に行こうと思いながらなんと言うか被災した人への申し訳なさもあって結局行くことは無かった。でも今回はちゃんと見ておこうと思いどうしたら行けるか考えた。高速道路は閉鎖されている。新幹線も止まっている。東北本線は途中山の中を通る所が災害に弱かったりするのでしばらくは動かないだろう。ならば比較的平坦な所を走る常磐線はどうかと思ったが、原子力災害と津波被害でもっと駄目な状態だった。僕自身自動車が運転できないので交通機関に頼らざる得なく、それが動き出すまで結局行くことは出来なかった。
話は前後する。2011年3月11日午後2時46分、僕は自宅でテレビをつけながらパソコンの画面に向かっていた。テレビに緊急地震速報が流れ数秒後に地震が来るとあった。テレビの緊急地震速報を見るのは恐らくこの時が初めてだろう。そしてその数秒後本当に揺れ始めた。こんな正確に地震が来ることを知らせるシステムがあるなんて僕は素直に感動した。揺れは少し大きかったが、完全な横揺れであるし、「まぁどうせ震源は宮城県だろう」と思った。それは2日前の3月9日に宮城県で大きな地震があったからで、その余震と考えたのだ。そうしているうちに途中から揺れが加速を始め経験したことの無い程の揺れになった。揺れが収まってからテレビの情報をずっと見ていたが、街に出ることに決めた。上空を普段は飛ばないような低空で飛行機が飛んでいた。街の中は建物が崩れるような被害は特に見られなかった。歩いているうちに中野駅についた。JRの駅は安全のため駅から客を完全に締め出して、駅前には人の群れ、そしてバス停には長蛇の列ができていた。駅の中にあるモニター画面は普段映さないテレビ放送のニュースを流していた。放送では大津波警報をずっと流していた。
震災後、仙台に行くことはできなくても関東で被災した所には行くことができた。まず千葉県の旭市に行った。鉄道は止まっていたが、辛うじて高速バスが走っていたので、それを利用して向かった。ここは高さ7.6メートルの津波が来た所だ。震災被害による死者は13名、行方不明者は2名となっている(千葉県東日本大震災記録誌より)。ここが初めて見る津波の被害にあった土地となった。
東日本大震災記録誌/千葉県
平成23年3月11日に東北地方の太平洋沖を震源にマグニチュード9.0の地震が発生し、遠く離れた本県においても強く長い揺れと大津波、液状化現象により県下29市10町が被災しました。20人の尊い命が失われ、現在も2人の方が行方不明となっています。また、ピーク時には約4万7千人の方々が避難所での不自由な生活を余儀なくされました。
引用出典:
https://www.pref.chiba.lg.jp/bousaik/jishin/kirokusi/kirokusi.html
次に茨城県の神栖市に行った。ここにも津波が来たが、僕が見つけたのはそれよりも液状化現象による被害で、傾いた家をいくつも見た。
そうこうしているうちに、仙台に行く手段が無い状況が続き、そして新潟に行く日が来た。仙台に行けるのならば新潟行きはキャンセルするのだが、どうせ仙台に行けないのなら新潟に行こうと決めた。新潟の街を歩いている時もどうしたら仙台に行けるかと考えていた。その時、目の前を仙台行のバスが走り去って行った。いざとなればもう一度新潟に来てそこから仙台に行けば良いと分かる。そして取り敢えず東京に戻った。
新潟から東京に帰った翌日、仙台に行くバスを探してみると沢山チケットが売られていた。どうやら運転再開の目途がたった直後の様だ。3列シートのゆったりした座席を持つバスを予約できた。震災関連でバス代が高騰するのでは、と恐れていたが4000円と良心的な値段だった。但し、条件として被災者が乗車する席を確保できない場合は席を譲らなければならないというものがあった。まぁ、それは仕方がないだろう。4日後にバスは東京を発つ。問題はホテルの予約で、ほとんどのホテルで予約の受付を止めていた。しかし予約を受け付けているカプセルホテルを見つけた。当時仙台はガスの供給が止まっていたので宿泊は風呂無しが条件だったが、その代わり随分と宿泊費が割り引かれた。
仙台に行く前に千葉県の浦安に行った。ここは埋立地の液状化現象が酷かったところで、地下の砂が地上に噴出していたり、下水管やマンホールが地面から飛び出していたりした。
東京の街は原子力災害の影響で節電をしているため、夜間はいつもより明かりが暗い雰囲気だ。東京タワーの先端にあるアンテナが地震の揺れで少し曲がったというので見てきた。そういえば東京タワーの先端をちゃんと見るのは初めてかもしれない。
仙台に行く日が来た。新宿駅西口の路上に朝8時、空色のバスは仙台に向けて出発した。




