2016.10 仙台市荒浜の震災直後

※津波被害の写真が含まれています。
 精神的ストレスを感じる可能性がある方は、閲覧の中止をご検討ください。

 2011年3月に津波に流された直後の仙台市若林区荒浜を訪れた時の事を思い出して書いてみようと思う。

 2011年3月11日午後2時46分、東北地方太平洋沖地震が発生した。それに伴って津波をはじめとする震災が発生した。自動車を所有していないので鉄道かバスの再開を待って東北に行くことにした。高速バスが動き始めたのでおおよそ二週間後、仙台に行くことが出来た。仙台市若林区井土浦や名取市閖上に行った後、荒浜を訪れた。

 仙台駅から深沼海岸行きのバスに乗る。深沼海岸行きと言っても海岸付近は津波の被害が酷く、バスは途中の荒井というバス停までしか走っていなかった。ここから海岸まで5km程歩くことになる。バスを降りた辺りは市街地たが、少し歩くと田畑が広がっていた。海岸に続く道を消防自動車が何台も走るのを見た。周りの田畑に少しだけ瓦礫のようなものが転がっていた。それは海岸に近づくにつれて徐々に量を増やしていった。道路の歩道には車道にあったものをどけたと思われる瓦礫が積んであったので歩くことが出来ず車道を歩く。雨が降っていたため、道の表面は泥が水分を含みぬるぬるして歩きづらい。田畑の中を自衛隊の人達が一列になって土の中に棒を刺していた。何かが埋まっていないか探しているようだった。津波に潰された海水浴場を案内する看板があった。

 荒浜の交差点にあるガソリンスタンドの前に着いた。規模の大きなガソリンスタンドだが、その屋根に木造住宅の壊れた屋根が乗っていた。あの高さまで津波が来たようだ。荒浜の集落はあまり建物が残っていなかった。多くは流されてしまったのだろう。自動車や生活用品がそこら中に散らばっている。建物の土台に家族全員の無事と連絡先が書かれていた。ここの家の人達は助かったようで良かった。飲食店の黄色い看板が落ちていた。「たこ焼き お好み焼き フライドポテト からあげ やきとり えだ豆 ジュース 生ビール 大盛 かき氷・ミルク イチゴ・メロン レモン・ぶどう ブルーハワイ・まっ茶」。辺りの建物が無くなってしまったので仙台市立荒浜小学校の高い建物がどこからでもよく見える。

 貞山運河に架かる深沼橋を渡るとだいぶ海の近くになる。所々原型をとどめた建物があるが、ほとんど流されてしまっている。辺りは文章にすることがあまり無いくらい瓦礫が散乱しているだけの状況だった。海岸近くには防風林として松が植えられていた。かなりの本数抜けたり折れたりしていた。海岸の防潮堤は壊れずに残っていた。防潮堤の上から見る海は津波が来たとは思えないほど静かだった。海岸には様子を見に来た人をちらほら見かけた。

 内陸の方に向かって歩き出す。タイル張りのお風呂を見かけた。生活があったことを感じさせる。歩く途中、富山県警の人達が警備をしているのを見た。津波に流された町は当然ながら電灯が無い。暗くなるまでに市街地まで歩かないと。

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