「3.11オモイデツアー きょうは市バスに乗って荒浜へ」に参加してきた。
仙台市交通局の市バスは 2011年3月11日に発災した東日本大震災で甚大な被害を受けた地域を走るバス路線の三ヶ所を休止扱いとして運転を取りやめている。
仙台市交通局 災害の影響等による市営バスの運休情報について
災害の影響等による市営バスの運休情報について
東日本大震災の影響によるもの
【折り返し運行となる一般バス路線】
○蒲生線
『中野新町』折り返し 休止区間『高砂橋』~『蒲生』
○深沼線
『南長沼』折り返し 休止区間『荒浜新一丁目』~『深沼』
○井土浜線
『中野』折り返し 休止区間『藤塚』~『閖上』
http://www.kotsu.city.sendai.jp/bus/news/jishin/index.html
「3.11オモイデツアー きょうは市バスに乗って荒浜へ」は、このうち深沼線の休止区間をバス一台借り切って震災以前の路線バスを再現しようというもの。ただし震災以前の深沼線は交通局大学病院前というバス停を始発とし仙台駅西口を経由して深沼海岸に到着したが、今回のイベントでは仙台駅東口を始発とし、震災後開通した地下鉄東西線の荒井駅を経由し深沼海岸に到着するという少しだけ違う所を走ったりもした。
市バスが一日だけ復活する動機となったのは、美術家の佐竹真紀子さんが荒浜の元々バス停があった所に偽バス停をこっそりと設置し、それが荒浜の元住民に受け入れられ本来バス停が無かった所にも偽バス停を設置したことによる。偽バス停は現在10ヶ所あり、そのうち震災以前バス停だったのは6ヶ所。
佐竹真紀子さん (@ibuibuibushi) / Twitter
https://twitter.com/ibuibuibushi/
9時前に仙台駅東西自由通路東口2Fエレベーター前集合。テレビ局の取材が結構入っていて少し驚く。バス停に移動し、バスに乗り込むと手作りの整理券をもらった。これは嬉しい。
9時を少し過ぎて仙台駅東口バスターミナル76番より出発。この76番バス停は普段、スタジアムへのシャトルバスや高速バスが停まるバス停だ。そこから出発する少し異質な感じがまた良い。バスの行き先表示は流石に「深沼海岸」とはなっておらず、大人しく「仙台市営」と表示していた。
車内は立っている人が結構いるような混雑ぶりで立って乗るのも楽しそうだが、僕は少し足を痛めていたので大人しく座席に座って窓の外を眺めていた。バスは津波の被害を受けた地域に入るまでは数十分間普通の街中を走る。しかし、バスの窓から街を眺めていると震災が起きてから何度もバスに乗って仙台の海岸付近に向かった時のなんとも言えない暗い気分を思い出す。
バスは震災後にできた荒井駅を経由する。このバス停から荒浜の元住民の人達が乗ってきた。あまり考えてなかったけど、バスが一日復活するのであれば最も乗るべき人達は元住人達なのだ。荒井駅を出発したバスは徐々に津波の被害を受けた地を走り始める。そして現在深沼線の終点である南長沼を過ぎると、いよいよイベントの本番と言った感じで休止中の路線を走る。

「荒浜新一丁目」「荒浜新二丁目東」「荒浜新二丁目」「荒浜小学校前」「荒浜郵便局前」と佐竹さんの作った偽バス停に停まりながら先に進む。ここは道路の作り方やバスの走り方からして大きな町があったことが想像できる。それも今は震災遺構として残されることが決まった荒浜小学校以外は建物はあまり無く、ひたすら広がる空き地に冬の枯れた草が密集し、遠くには嵩上げ工事用に高く積まれた土が見える。とても悲しい光景だ。
バスは貞山堀に架かる深沼橋を渡る。この橋を渡ればもうすぐ終点「深沼海岸」だ。窓の外にはバスを見に来た人が手を振ったり写真を撮ったりしている。
10時を少し過ぎた頃、多くの人に出迎えられてバスは「深沼海岸」に到着した。今日この地を走るバスはかつてここにあった町を思い出させてくれるのだろうか。町におけるバスの存在感、それは東京都区のごちゃごちゃした交通機関に馴染んでいる僕には少し分かり辛い感覚なのかもしれない。
このバスを仙台駅から深沼海岸まで走っているところを撮り続けた方が動画をYouTubeに上げていた。23分に短縮した動画ではあるが、なかなか良い動画である。
2016年12月11日、仙台市営の特別路線バスが荒浜へ走る(仙台駅からの追尾映像) – YouTube
津波で失われ、今もバスが来ない仙台市荒浜の深沼停留所。アーティストが作った偽のバス停へ向けて、2016年12月11日、仙台市営バスがたくさんの関係者を乗せて走った。仙台駅東口から当時はなかった地下鉄荒井駅を経て、かつての終点深沼停留所まで、ところどころ寄り道しながらの全行程約1時間。この映像は、車の屋根にGOPRO3+をつけ、バスの後ろから追尾して撮影したもの。前半の市街地部分を多少省略して、約23分に短縮している。
https://www.youtube.com/watch?v=31yUkFXmWjU
終点に到着してからしばらくは撮影会状態になる。バスを撮る人、人を撮る人、バスの周りに人が密集している感じがある。僕は今まで何度も荒浜に来たが、数人がいる状態なら見たことがあるが、こんなに人がいるのを見るのは初めてだ。
10時半頃、バスは回送となりおそらく車庫へと向かっていく。バスが深沼橋を渡る姿を見るとなんだかとても寂しい気持ちになる。そしてそのはるか遠くには仙台駅周辺の高層ビルが見える。
バスが去った後、次は海岸清掃を行う。掃除の為の準備体操がちょっと面白かった。僕は海岸清掃という善良な行為はしたことが無く、割と短時間写真を撮りながらゴミ拾いをしただけで結構なゴミが拾えたことに驚く。どこの海もきっとゴミだらけだ。
海岸清掃の後はお昼御飯だ。場所は元住民らの集いの場「里海荒浜ロッジ」。餅をつく人、バームクーヘンを焼く人、ピザを作る人、ピザを焼く人、お雑煮をよそう人、食器を洗う人、おそらくこの人たちは地元の人だ。僕は何もせずただただ食べてるばかりだった。
食事の後は荒浜の町を歩く時間。地元の人が説明をしてくださる。周囲は津波の被害にあった建物の部分が少し残されている。震災後に造った建物も少しあるが、震災前の町はどうだったかは想像できない。
この後、元荒浜住民達の集いを覗かせていただく。プロジェクターで昔撮った荒浜小学校の運動会の写真を映していた。時期は平成元年で、もうずっと遠い思い出だ。
15時少し前、帰りに乗るバスが貞山堀に架かる深沼橋を渡って来るのが見えた。橋を渡る頃は「回送」となっていたバスの行き先表示は渡り終えた頃「深沼海岸」と表示が切り替わった。おかげで「深沼海岸」と表示しながら走るバスを見ることが出来た。なかなかの演出だ。尚、バスは来る時に乗った車両と同じものだが運転手は違う方だった。
15時にバスは多くの人に見送られながら深沼海岸を出発し、荒井駅と仙台駅に向かう。深沼海岸を出発した後もしばらく手を振る人達の姿が見えた。バスは走り「荒浜郵便局前」「荒浜小学校前」「荒浜新一丁目」「荒浜新二丁目東」「荒浜新二丁目」と再び偽バス停を経由する。そして再びこの寂しい車窓をずっと眺めた。
荒井駅で地元の人達が降りていった。荒浜の元住民の人達に手を振られてバスは仙台駅を目指す。帰りのバス車内で色々な人の話が聞けたり、降車ボタン押し放題だったりとても楽しい時間だった。
16時少し前に仙台駅に到着。解散である。
このイベントに参加する前日にも荒浜に行ったのだが、そこで話しかけられたおばちゃんの話では、今バスは南長沼まで走ってきているがお墓参りなどにとても不便なのでもう少しバス路線を延長してほしいということだった。そしてどうやら市バスはお墓に近い旧荒浜小学校前までバス路線を延長することを決めたらしい。それと同時にそれ以外の休止路線は残念ながら廃止となる。尚、旧荒浜小学校は仙台市が震災遺構として保存すると決めている。
河北新報オンラインニュース
<仙台市交通局>旧荒浜小前にバス停新設へ
仙台市交通局が来年4月の市バスのダイヤ改正で、東日本大震災で被災した旧荒浜小(若林区)前にバス停を新設することが14日、分かった。震災で運行休止中の他の区間は廃止する。近く詳細を公表する。
現在は南長沼が発着点の深沼線を、旧荒浜小前まで約400メートル延ばす。市は震災遺構として校舎の活用を決めている。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201612/20161215_11031.html
そういえば、この休止になっているバス路線は本当に現在も休止扱いなのか実際には廃止になっているのか、仙台市交通局にメールで問い合わせたが返信が無く、もう一度問い合わせても返信が無かったということがあったのだけれども、路線の廃止を決める微妙な時期だったのだろう。
今まで他の津波の被害にあった地も含め基本的に「人がいない所」という前提で土地を見てきたところがあったのだけど、荒浜や閖上など少しずつ人が戻ってきている土地もあって、今回その動きが直に見られたこともあり、今後色々と考えることが増えそうな気がする。次に荒浜に行くのは来年の3月だろうか。












