※津波被害の写真が含まれています。
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2011年3月に津波に流された直後の仙台市若林区にある井土浜付近を訪れた時の事を思い出して書いてみようと思う。
津波に流された地を見るために仙台に来た。そして初めて訪れたのが井土浜周辺だ。仙台駅から閖上方面に向かうバスに乗る。しかしバスは終点まで行かず、途中の東高校入口というバス停で折り返し運行をしている。そのバス停でバスを降り、海に向かって歩く。
ガソリンスタンドがあったが、営業はしていなかった。ガソリンが無いのだろう。仙台東部道路をくぐると瓦礫の量が増えてくる。道路わきに自動車や鉄道用の貨物車両が転がっている。車の中には藁の様なものが沢山入っていた。津波の被害によるものだろう。郵便ポストに当分利用できない旨の文章が書かれた紙が貼りつけてあった。松の木が窓に沢山刺さった家があった。その家からずっとファミリーマートに入った時に聞く音楽が流れていた。神社があったが建物が土台から剥がれたように流され大きく傾いていた。元々何か良く分からない金属のフレームがぐちゃぐちゃになったものを見た。畑の中にトヨタのMR2という赤い車が転がっていた。海に近づくにつれ、海近くに植えてあったと思われる松の木をあちらこちらで見る。これも津波で流されたもの。
井土浦川を渡る橋を通る。橋の柵は津波で壊され、橋には松の木が引っ掛かっていた。近くの川底にはトラックが沈んでいた。空に自衛隊のヘリコプターが飛んでいるのが見える。それから比較的住宅の多い場所に出た。住宅は一階部分の窓や扉が壊れていたが二階部分は壊れていない。自衛隊の人達が作業をしているのを見た。井土浦川に架かるもう一つの橋には流された家が引っ掛かっていた。フレームの歪んだ自転車を見た。川の横にタンスが転がっていた。
貞山堀にでた。水門のようなものがあって、それはさほど壊れていないようだ。海岸付近は砂が随分と削れていた。砂浜にコンテナが転がっていた。おそらく仙台港から流れてきたのだろう。
夕暮れになってきたので、来た道を戻る。「理容テシマ」と看板に書かれた店が津波の被害にあっていた。警視庁(東京都)のパトカーが道を走っていった。秋田ナンバーの車が津波被害の様子を見に来ていた。再び東高校入口のバス停に戻って来た時は随分と辺りは暗くなりつつあった。
バスで仙台駅近くに戻る。食べるものはあまりなく、松屋も吉野家もマクドナルドも閉店中。辛うじて開いているすき家で牛丼を食べる。









